ヤジ排除問題は果たして警察活動を萎縮させるのか――あるいは公安警察は治安維持法の夢を見るか 

大杉雅栄(ヤジポイの会)

0、概要

 ここのところ、衆議院・東京15区の補欠選挙における「つばさの党」の妨害行為に関連して、北海道警ヤジ排除問題が引き合いに出される傾向がある。そこでの主な論調は主に以下のようなものである。「ヤジ排除問題をめぐる裁判の中で、『演説中の候補者にヤジを飛ばすことも表現の自由である』といった主張がなされ、裁判所もそれを認める判決を出したため、警察が萎縮し、選挙妨害であるヤジを取り締まることができなくなった」と。確かにヤジ排除裁判では「ヤジの権利」とでも呼べるような主張を展開し、そしてそのことについて札幌地裁・高裁ともに、温度差はあれど表現の自由としてのヤジを認定してきた。

 しかし、ヤジ排除問題とその裁判に関して、当の道警は「公職選挙法における自由妨害罪に基づいて排除を行った」とは全く主張していない。そのため「ヤジは選挙妨害かどうか」は一切争点にならず、判決でもそのようなことには重きが置かれていない。

 つまり、ヤジ排除問題と最近の選挙妨害云々は、端的に言って関係がない。にも関わらず、そのような誤解や無理解、こじつけに基づく主張がマスメディア等も一体となって流布されていることについて、この文章では説明を試み、理解の刷新を促したい。

1、つばさの党による「選挙妨害」

 2024年4月28日に投開票が行われた衆議院補選においては、その選挙活動期間中に、「つばさの党」という団体の候補者による「選挙妨害」行為が話題を集めた。つばさの党から立候補した根本良輔氏や、その応援演説に立った同党代表の黒川敦彦氏などの関係者は、他の政党候補者が街頭演説を行っている現場に押しかけ、拡声器を使って大音量のヤジや強引な質問を連呼するなどし、さらには候補者の車を街宣車で追いかけ回すなどの行為を繰り返した。また、そうした様子をひっきりなしにオンライン配信していたことも特徴として挙げられる。再生数を稼ぐために他者の迷惑を顧みない配信者を「迷惑系ユーチューバー」などと呼ぶことがあるが、彼らの行動は選挙立候補者の立場を用いてそのような活動に邁進していたという意味で、より複雑で厄介である。

 このような行為は取り締まりの対象にならないのだろうか。選挙活動の自由を定めた公職選挙法(公選法)の第225条には「選挙の自由妨害」、すなわち選挙妨害・演説妨害行為が犯罪として規定されている。

(条文)(選挙の自由妨害罪)

第二百二十五条 選挙に関し、次の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。
一 選挙人、公職の候補者、公職の候補者となろうとする者、選挙運動者又は当選人に対し暴行若しくは威力を加え又はこれをかどわかしたとき。
二 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき。(下線部強調は引用者)

 このような規定があるにも関わらず、なぜこうした「妨害行為」は取り締まりの対象にならなかったのか。もちろん警視庁も手をこまねいていたわけではなく、選挙期間中に何度か警告や注意を発するなどし、同党の行為を抑制するための介入を行っていた。しかし、より具体的な取り締まりとしての逮捕などが選挙期間中に行われることはなく、その意味では彼らの妨害活動が制限されることはなかった(なお、周知の通り、選挙期間終了後の5月13日につばさの党本部に家宅捜索が入り、5月17日には関係者3人が逮捕されている)。

2、道警ヤジ排除問題とは

 選挙期間中のあからさまな妨害を前にしても具体的な介入に踏み切らない、警察の煮えきらない対応に多くの人が疑問を感じる中で、まことしやかに言及されていたのが道警ヤジ排除問題との関連である。道警ヤジ排除問題とは、2019年に北海道札幌市において発生した事件である。当時、総理大臣だった安倍晋三が参議院議員候補の応援演説のために札幌駅前などに出現した際、「安倍辞めろ」「増税反対」など、政権に対する批判のヤジを肉声で飛ばした人物や、政府の政策に対して疑問を投げかけるプラカードを持参した市民が出現した。これに対する警察官の反応は実に速やかなものだった。警察官らは意見表明を試みる市民の身体を拘束するなどして、演説会場から離れた位置まで強制的に排除したのである。しかも、排除のために動いた何十人もの警察官は、強制排除の法的根拠について現場で一切示すことはなく、無数の批判に晒された道警が排除の法的根拠について答えたのは、排除当日から数えて実に7ヶ月以上も後であった。

 本来、選挙期間中であっても、肉声によるヤジやプラカードの掲示など、市民による表現行為自体がなんらかの犯罪に該当するものことはありえない。しかも、その対象者が総理大臣という権力者であることを踏まえると、ほとんど古典的な表現の自由の範疇に属する行為が制限されたといえる。

 権力者を批判するための意見表明を警察権力によって排除することは、表現の自由を掲げる民主主義国家においてあってはならないことではないのか――そのような思いを抱いた私達は道警の責任を問うための国家賠償請求訴訟を起こし、「市民のヤジは表現の自由である」「強制排除は違法行為であり、表現の自由の侵害である」といった主張を展開した。事実認定などについて違いはあるものの、地裁・高裁ともその原則的な主張――原告の意見表明は表現の自由に属するもので、それに対する強制排除は人権侵害――を認める結果が出ている。

 一般的に、日本の裁判所は国家権力による不法行為の認定や、憲法に関する判断を回避しがちな傾向にある。しかし、本件では裁判所が警察官の不法行為を認定するだけでなく、憲法の規定に正面から言及して、警察権力の濫用を戒めた稀有な例として注目を集めた(なお、高裁の結果については、排除された市民の側も警察の側もそれぞれ上告して、最高裁での動向が注目されている)。

3、ヤジ排除と選挙妨害を関連付ける言説

 このように注目されたヤジ排除問題であるが、上述したようにつばさの党の演説妨害の事案と関連付けられ、非難に晒されている現状がある。

 具体的に見てみよう。たとえば、テレビ朝日「羽鳥モーニングショー」では、元検察官の亀井正貴弁護士が、上記のつばさの党による妨害行為と道警ヤジ排除裁判の地裁判決に言及しながら、以下のように話している。

「この判例(引用者注:ヤジ排除地裁判決)はですね、警察の活動に与えた影響は非常に大きなものがあります。大きな萎縮効果を与えていると思いますね。先ほど申しましたとおり、自由妨害罪の適否の判断は現場の警察官が判断するのは非常に難しいです。(中略)その意味では、これが与えた影響は大きいと思います。」

「羽鳥モーニングショー」(テレビ朝日、2024年4月29日放送)

 また、つばさの党による妨害行為の現場に居合わせた参議院議員の音喜多駿(日本維新の会)はX(旧ツイッター)等に以下のように書いている。

「多くの人が指摘をしている通り、警察が選挙妨害に対してほとんど何も対応をしてくれなくなったのは、札幌における事件がきっかけだと思います。ヤジによる演説妨害を警察が排除したところ、これが妨害側の「表現の自由」を侵害したとして警察側が地裁で敗訴。演説妨害に対応した警察に賠償命令が下される展開に。これ以来、迷惑行為に対する警察の対応は本当に慎重になってしまいました。」

演説妨害・選挙妨害に対応しなくなった警察組織…「大動画時代」にふさわしい法改正が必要か(アゴラ、2024年4月22日)
https://agora-web.jp/archives/240421210355.html

読売新聞も社説で全く同様の主張を展開している。

「街頭演説中のトラブルを巡っては、2019年参院選で、当時の安倍首相にヤジを飛ばした男女2人を、北海道警が排除したことの是非が裁判で問われている。
 1審、控訴審ともに、一部の警察官の行動は表現の自由を侵害した、と認定した。こうした司法判断が選挙妨害の取り締まりを萎縮させている可能性はないのか。」

社説(読売新聞、2024年5月10日)
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20240509-OYT1T50193/

また、ここまで直接的ではないにせよ、ヤジ排除事件があったことで選挙違反の取り締まりと表現の自由のバランスが難しくなっているといった言説もよく見られる。

毎日新聞の記事では、公職選挙法の改正によって取り締まりを強化しようという日本維新の会の案を紹介しながら、Q&Aの形式で下記のように書いている。

「Q 規制の方法が難しそうだね。
 A 2019年参院選で当時の安倍晋三首相にヤジを飛ばした男女を排除した北海道警の対応が問われた裁判では、1審判決が排除の違法性を認めました。2審は女性の勝訴を維持したものの、男性は周囲の聴衆とトラブルを起こしていたなどとして逆転敗訴としました。今回、憲法学者からは「他候補の表現を妨害する自由までは認められない」との意見も出ており、憲法が保障する自由とのバランスに配慮が求められそうです。」

衆院補選で問題視「選挙妨害」の規制は? 維新は罰則強化案まとめる(毎日新聞、2024年5月13日)
https://mainichi.jp/articles/20240513/k00/00m/010/060000c

 このような言説には枚挙に暇がない。「本来であれば取り締まりが必要な妨害行為さえも、ヤジ排除裁判のせいで警察が萎縮してしまった」「表現の自由と妨害行為の線引きが難しくなった」という、わかりやすいストーリーが一定の説得力を持って浸透しているといえるだろう。

 さらに、極めつけはつばさの党サイドによる発信である。同党の根本氏は、Xにおいてこのような発信をしている。

「候補者以外の安倍へのヤジが合法な時点で、候補者である俺らが違法なわけがない
北海道のヤジも、俺らがやったヤジも全く同じ
なぜならヤジの定義が曖昧だから
音量がデカかろうがなんだろうが定義が曖昧な以上、ヤジであると一括りにされる」

根本良輔 @nemoto_ryosuke2(X、2024年5月13日投稿)https://agora-web.jp/archives/240421210355.html

 そのほか、このようなストーリーの亜種として、「ヤジ排除判決があったせいで、警護警備が手薄になり、安倍元首相や岸田首相に対する襲撃事件を招いた」といったものもある。このように、ヤジ排除問題については、その時々で「演説妨害を助長している」「警備の萎縮を招いている」といった批判が寄せられる(ちなみに「ヤジはうるさいから妨害に当たる」という主張と「ヤジも排除できない状況では要人警護に支障が出る」という主張のそれぞれがどのように論理的に両立するのかしないのかはよくわからないが、非難を浴びせる側にはそのような葛藤は特に存在していないようである)。

4、ヤジ排除裁判の争点

 さて、ここまで取り上げたようなヤジ排除問題(裁判)とつばさの党の行為とを混同した議論は、しかし排除された当事者の側や、あるいは裁判の動向について詳しく追っている人々からすると、全く的はずれなものであり、ほとんど「いちゃもん」または「とばっちり」と呼んで差し支えないものであるのも事実である。

4-1、「ヤジは選挙妨害か」について争っている者はいない

 まずは回りくどい説明を後回しにして、結論だけを述べるならば、「ヤジ排除は公選法の演説妨害を根拠に行われたものではないため、公選法について争っている裁判ではない」ということである。要するに「公選法とヤジ排除裁判にはそもそも関係がない」のである。

 排除を行った道警は裁判の冒頭で提出した準備書面では、「警察官らは,原告が罵声を上げた行為が公職選挙法に違反するとして,原告を移動させたのではな」いとしたうえで、「原告が罵声を上げた行為が公職選挙法に違反するか否かは,本件訴訟における争点ではない」と明記している(被告第1準備書面)。これはやや回りくどい表現であるが、要するに、排除された側も排除した側も「ヤジ自体が演説妨害該当するものではない」と見解が一致しているからこそ、裁判の争点にならないということである。

 というのも選挙演説中のヤジの是非については、これまでの判例等において、議論が済んでいるからである。そこでは、ヤジなどによる演説妨害の要件は、聴衆が「演説を聴き取ることを不可能又は困難ならしめるような所為」と示されているほか(最高裁1948年6月29日)、「選挙演説に際しその演説の遂行に支障を来さない程度に多少の弥次を飛ばし質問をなす等は許容」されるとし、「他の弥次発言者と相呼応し一般聴衆がその演説内容を聴き取り難くなるほど執拗に自らも弥次発言或は質問等をなし一時演説を中止するの止むなきに至らしめるが如き」行為に至らなければ公職選挙法上の演説妨害罪は成立しないとしている(大阪高判1954年11 月29日)。

 実際、ヤジ排除問題発生直後から同様の見解は法学の研究者などからも発せられている。いくつか紹介すると、松宮孝明氏・立命館大学法科大学院教授(刑法)は「判例上、演説妨害といえるのは、その場で暴れて注目を集めたり、街宣車で大音響を立てたりする行為で、雑踏の中で誰かが肉声でヤジを飛ばす行為は含まれない」と答えている(朝日新聞、2019年7月17日)。また、園田寿・甲南大学法科大学院教授(刑法)も、「やじを飛ばすだけで演説が不可能になることはありえず、選挙妨害には当たらない」と述べている(東京新聞、2019年7月18日)。木村草太・首都大学東京教授(憲法学)は「どの程度の行為であれば法律に抵触するのか」という質問に対して「暴力を振るうとか拡声器で聞き取れなくするレベルになって初めて問題になります」と答えている(TBSラジオ「荻上チキ session22」、2019年7月18日放送)(肩書はいずれも掲載・放送当時)。ここでも肉声はともかく、拡声器等で演説をかき消すレベルの行為であれば法律に抵触しうるという認識が共有されていると言える。

 排除を行った警察官の一人は、札幌地裁で行われた証人尋問において「やじを飛ばすこと自体は自由だということは確認していたか」と問う原告側弁護士に対して「はい」と即答し、「警察官が特定の意見の表明をしただけの人を規制するということはあり得ない」と見解を示している(証人角田の尋問調書、pp10-11)。これは道警側の公式見解に沿った答弁でもあり、法に拘束される警察官としてはおよそ模範解答と言えるだろう。

 このような事情から、地裁・高裁の判決においても公選法については特に焦点が当たっていない。なお、札幌地裁ではこの点について「念のために検討しても」と前置きした上で、「原告らの表現行為は、選挙演説を事実上不可能にするものではない」と判決で触れており、上記した最高裁判例の基準を踏まえた上で、選挙妨害の不成立を確認している。

 したがって「表現の自由と公職選挙法における選挙活動の自由のどちらが優先されるべきか」といった論点はこの裁判の中には存在しておらず、選挙妨害について全く新しい判例が出た事実もない。公選法について争っていない裁判の判決を踏まえたところで、警察が公選法の適用について、ことさらに萎縮する理由は見当たらないのである。そして、「選挙演説を事実上不可能にする」ような拡声器を用いた妨害行為は、過去の判例をもとに取り締まることが可能であるという解釈も特に変更されていない。

4-2、ヤジ排除裁判では一体なにが争われたのか

 これらを踏まえた上で、あらためてヤジ排除裁判の争点について簡単に説明しておきたい。裁判において焦点となっているのは、原告二人が受けた計6場面の警察措置が適切であったか否かである。

 全体としての争点は、原告らがヤジを飛ばした演説会場の場面において「生命・身体に危害をおよぼす危険な事態があったのか」または「まさに犯罪が行われようとする事態があったのか」という、警察官職務執行法(警職法)に規定する要件の有無である。原告側は「そんな危険な状態はなかった」と主張し、道警側は「差し迫った危険があった」と主張している。

原告大杉雅栄に関する出来事:

札幌駅前で「安倍やめろ」「帰れ」などとヤジ→警察官によって強制排除(警職法4条+5条)
警察官の隙間を縫って小走りで街宣車に接近を試みる→警察官に止められ、排除(警職法5条)
札幌三越前に移動、再び安倍にヤジ→排除(警職法5条)

原告桃井希生に関する出来事:

札幌駅前で「増税反対」などとヤジ→私服警官によって後方へ排除(警職法4条+5条)
演説会場の後方で警察に取り囲まれ、身動きが取れない状態に(警職法4条+5条)
演説会場を離れた後、一時間以上も付きまとわれた。途中で腕をつかまれたりしながら、「ジュース買ってあげるから大声を上げないでほしい」などの説得を受ける(警職法2条、警察法2条)

<場面①および④>

 いずれも札幌駅前の場面。大杉と桃井はお互いに離れた位置に立っており、それぞれ単独で、異なるタイミングでヤジを飛ばし、それぞれ同じように排除された。①と④については根拠法令が全く同じで、警職法第4条および第5条の同時適用である。前者は生命身体に危険を及ぼす差し迫った危険がある場合に、対象者を緊急避難させることを可能とする法律であり(避難等の措置)、後者は犯罪行為を行おうとする者を強制的に制止する法律である(制止)。

道警の主張を要約すれば以下のようになる。

「大音量で『罵声』を発する行為は、周囲の熱狂的な自民党支持者との間にトラブルを引き起こす行為で、実際に原告らの身体を押すなどの暴行を加えたり、『うるさい』などの怒号を発するものがいた。また、原告らは周囲の聴衆に反撃したり、聴衆に向かって突進する可能性があると認められたため、警察官は、差し迫った危険や犯罪防止のために原告を強制的に移動させた」。

 つまり、警察はヤジを取り締まるために原告らを取り押さえたのではなく、「周囲の自民党支持者から原告を守るために」移動させたに過ぎないのだという「自民党支持者暴徒論」とでも呼ぶべき主張を展開したのだ。しかも避難させ、保護するべき対象者を同時に警職法5条の規定で取り押さえるという、非常にアクロバティックな論理展開となっている。

 なお、地裁では①④の両場面について道警の主張が退けられ、警察官による違法行為および表現の自由の侵害が認定された。しかし、高裁では判断が一部逆転し、①に関わる警職法4条適用が適法であったとして、原告大杉の請求のみ棄却した。

<場面②>

 ヤジを飛ばすことを強制的に妨害された大杉は、警察官の隙間を縫って安倍氏の乗る街宣車付近への接近を試みた。街宣車に近づかなければ、声を届けるという目的が達成されないからである。しかし、これを危険の兆候と判断して制止した警察官の行為については、地裁でも正当な職務執行と認められた(原告側が控訴しなかったため高裁では争われていない)。

<場面③>

 大杉は札幌駅前で強制排除されたことから、次の演説会場である札幌三越前に向かう。そこで演説する安倍晋三の街宣車近くへゆっくり歩いて近づき、安倍氏を指差して「安倍辞めろ、バカ野郎」とヤジを飛ばした。道警は、街宣車付近で要人を指差して大声を上げる行為などは具体的な危険を予期させるものであるとして、排除を正当化している。ここでは、周囲の聴衆云々の話ではなく、大杉による加害行為の可能性のみが問題となっており、法的根拠は「差し迫った犯罪を制止するため」の警職法5条である。地裁では原告側の主張が認められ、警察官による違法行為および表現の自由の侵害があったと判断された。しかし、高裁においては判断が逆転し、道警の主張が認められている。

<場面⑤、⑥>

 ヤジを飛ばした後の桃井が札幌駅前から離れ、三越方面などに行こうとするのに対して警察官が追従し、時に立ちはだかったり、桃井の両腕を抱えるなどして妨害した行為について、道警は警職法2条(職務質問)や警察法2条(警察の活動理念)などを根拠に、危険回避のために正当化されると主張した。しかし、地裁・高裁とも、その前提となる桃井のヤジ行為に違法性がないことから、それらの追従は無根拠で違法と判断した上で、移動行動の自由、名誉権、プライバシー権の侵害を認定した。

4-3、地裁と高裁の判断

 これらを総合すると、地裁においては、①から⑥のうち、②を除くすべての場面で原告側の主張が採用された。原告側としても②に関しては積極的に争うものではなかったことから、原告側の完全勝訴といえる内容であり、控訴もしなかった。

 一方、高裁においては地裁において認められていた①および③について、道警の主張を認める判断がくだされ、大杉の賠償請求が棄却される「逆転敗訴」となった。一方で桃井に関わる④から⑥までは一審の判決が維持されており、全体としては「半分勝訴」とでも呼ぶべき形になった。

5、つばさの党の特異性

以上のことを押さえてあらためてつばさの党の事案を取り上げると、その行為の特異性が明らかになってくる。整理するために表にすると以下のようになる。

 ヤジ排除問題つばさの党
行為肉声のヤジ(一部罵倒?)拡声器によるヤジ(質問・罵倒) 他の候補者への執拗な追跡
行為者一般市民選挙候補者・政党関係者
争点となる主な法律警察官職務執行法4条・5条公職選挙法
事件の争点生命・身体に危害を及ぼす差し迫った危険や犯罪行為のおそれの有無選挙妨害の成立の有無 妨害の意図の有無
担当部署警備部(警備公安)刑事部(捜査2課)
判決「原告らの表現の自由は警察官によって侵害された」「念のため検討しても原告らの表現行為は演説妨害には該当しない」(札幌地裁) 「声を上げた行為は、政治的な意見表明」「表現の自由に含まれる」(札幌高裁) 

5-1、両事件の相違点

 ヤジ排除問題では、単独の肉声で数秒程度ヤジを飛ばしたのに対して、つばさの党の事案は拡声器などを用いて他の候補者の演説をかき消すように長時間、主張をかぶせている。それは確かにつばさの党の言うように「ヤジ」の一種とも言えるのかもしれないが、それが度を越す形になれば制限の対象となりうることは、これまでも見てきた通りである。札幌地裁判決の言葉を借りれば「表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を受けるもの」(地裁判決文p43)ということである。

 ヤジ排除問題は警職法の適用の是非が争点となっているが、つばさの党では公職選挙法が主たる争点になっている。取り締まりや対応に関しても、ヤジ排除問題は警備公安部門(公安警察)が動いているのに対して、つばさの党では選挙違反の担当部署である捜査二課が対応している。

5-2、警察は候補者への介入に以前から消極的である

 そして、特に大きな相違点として挙げられるのは、それぞれの行為を行ったのが一般市民であるか、立候補者・政党関係者であるかどうかという点である。これが警察による介入を難しくさせている要因と言ってよいだろう。一般に警察組織は、選挙期間中に選挙違反の事案を取り締まることに消極的である。それもそのはずで、選挙を通して議員を選出し、その議員が法律を議論し、制定するという議会制民主主義においては、選挙こそが民主主義の根幹であると見なされている。その中で特定の候補者のみを事前に逮捕することに前のめりになれば、警察が選挙結果に直接に影響を及ぼすおそれが出てくる。あるいはそうした批判を浴びるおそれが強い。そのため、このような介入に警察が消極的になること自体は理解できないことではない。どこまで介入し、どこからは静観に留めるのか、そのバランスは確かに難しいところだろう。現実的には、直接に器物損壊や危害を加える行為を除いて、警察は基本的には証拠集めに徹し、事後的に介入する傾向が強い。

 しかし、それはヤジ排除事件を踏まえてそうなったものではなく、以前からそういうものであった。その点で、音喜多駿氏や読売新聞社説のような言説は、基本的な事実認識を見誤っていると言わざるをえない。

5-3、「選挙こそが民主主義の根幹である」と言っても意味がない

 なお、この問題に関しては、「選挙こそが民主主義の根幹であり、重要なのだ」という優等生的な態度によっては改善が見込めないという難問も立ちはだかっている。というのも選挙を神聖視し、聖域化すればすればするほど、選挙候補者の立場を悪用した「言論行為」「選挙活動」を取り締まることができなくなるという逆説があるからである。つばさの党は単に選挙制度の外部からその破壊や妨害を目指しているわけではなく、ある意味で聖域化された制度の枠内に入り込むことによって、警察が手出ししづらい状況を手に入れ、内側から選挙制度を破壊している。このことの特殊性は強調してもしすぎることはない。彼らが開いたパンドラの箱は、強烈なカオスを撒き散らしてしまったと言えるだろう。この点も一般市民によるヤジとの大きな相違点である。

6,公安警察は治安維持法の夢を見るか

 ここまででヤジ排除問題とつばさの党のそれぞれの出来事と、その相違点を整理して説明してきた。ヤジ排除裁判の地裁・高裁判決を踏まえてもなお、警察による法律に基づいた取り締まりはなんら抑制されていないということが指摘できる。その行為者が選挙候補者であれば、法律の適用に躊躇する場面はあるものと思われるが、だからといって不逮捕特権や治外法権が存在するわけではない。そのバランスについては十分に配慮しつつ、選挙違反については判例を踏まえて粛々と取り締まるしかないだろう。

 最後に、それだけでは捉えきれないものが存在している可能性について、蛇足ながら付言しておこう。ヤジ排除裁判の中で「ヤジであっても表現の自由に含まれる」旨を証言した上記の公安警察は、しかし同じ日の尋問で気がかりな答弁もしていた。原告側の竹信航介弁護士は、この警察官に対して「警察官が法律の枠を超えて有形力を行使するということがありえるか」という趣旨の質問を投げかけた。警察はあくまで法的根拠に基づいて有形力を行使するものであり、それを具備しなければただの違法な暴力になる――その当たり前の事実について警察側の認識を問う質問であり、法治国家の警察官としては「法律に基づいて職務を執行します」と即答するほかない場面であった。しかし、この警察官は「法律に基づいて」という文言を頑なに口にせず、そのかわり「警察官は現場の状況に応じて適切に対処します」と答えた。竹信弁護士は、同様の質問を何度か投げかけたが、警察官の返答は最後までブレることがなかった(証人角田の尋問調書、pp22-23)。

 これが単に「言い忘れた」というだけの話であれば問題はない。しかし、ここには治安機関の深層心理とでも呼ぶべき認識が投影されているように思われてならない。警察官の証言はこのように深読みすることも可能であるからだ。すなわち「警察官は時として違法行為さえ行うことがありうる」「治安維持のためには法律の枠を超えた対応すらも必要なのだ」と。

 繰り返しになるが、ヤジ排除裁判において断罪されたのはあくまで「違法な警察力の行使」であり、警察はこれまで同様、ただ法律に基づいて職務を執行すれば良いだけの話である。だがしかし、それが結果として「違法な警察活動を行う自由」という、公的には存在しないはずの警察権力を牽制しており、それによって警察組織が「不当に」萎縮させられているという意識があるとしたら…。それを支持し、その抑制に反発を持つメディアや大衆が存在するとしたら、ここまで長々と説明してきた法律的な議論の土台は全く共有されず、意味をなさないかもしれない。

 法律さえも超えた警察権力。それはどのような事件に対しても「適切に対処」しうるという意味で、理想的で、甘美ですらあるかもしれない。しかし、それは同時に近代国家が掲げる法の支配や人権さえも顧みないという意味で、ほとんど「治安維持法的な夢」である。もしもこの社会にそのような願望が陰に陽に存在し、法治国家の看板を根本から腐食しているのだとしたら、私達はより根源的な批判と反論を試みないといけないのかもしれない。

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう